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Tuesday, March 9, 2021

「命の恩人」であり「唯一の形見」だから 私は被災ビルを残した - 毎日新聞 - 毎日新聞

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今も残る米沢商会ビルで、当時の様子やビルを残した理由を語る米沢祐一さん=岩手県陸前高田市で2021年2月25日、小川昌宏撮影 拡大
今も残る米沢商会ビルで、当時の様子やビルを残した理由を語る米沢祐一さん=岩手県陸前高田市で2021年2月25日、小川昌宏撮影

 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。大規模なかさ上げ工事により被災前の面影が消えた市中心部から望める場所に、津波の痕跡を残す古びたビルがたたずむ。このビルで命を救われた包装資材販売業、米沢祐一さん(56)が震災遺構として保存。その経験を語り継いでいる。

 2011年3月11日、米沢さんは高さ約14メートルの自社ビル「米沢商会ビル」最上部にある煙突にしがみつき、津波から身を守った。直前までビルで一緒だった両親と弟は近くの市民会館に避難して津波の犠牲になった。アルバムなど思い出の品は全て流された。ビルを「唯一の形見」「命の恩人」と感じて保存を決断。公的支援は受けず、自費で管理している。周囲に被災前の面影をとどめるものはなくなり、以前を知る市民から「残してくれてよかった」と声を掛けられることもあるという。

今も残る米沢商会ビルで、当時避難した屋上の最上部に上る米沢祐一さん=岩手県陸前高田市で2021年2月25日、小川昌宏撮影 拡大
今も残る米沢商会ビルで、当時避難した屋上の最上部に上る米沢祐一さん=岩手県陸前高田市で2021年2月25日、小川昌宏撮影

 現在は見学に訪れる人にビルで被災体験を語る。煙突の先端から20センチほど下に「津波到達水位」と書いた目印を取り付け、津波の巨大さを実感できるよう工夫している。

 「自分と同じ思いをしてほしくない。同じような状況に直面した時に、自分の命を守って生き残ってほしい」【後藤由耶】

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