
「人には言えないことだ」という判断基準
この連載のほか、私の書いたものを読んでくれた友人や知人に、「こんなことまで書いてしまって大丈夫かなと心配になることがある」と言われることがあります。「自分だったら、怖くて書けない」とも。 そういえばかつて「私はあなたと違って自分のことを世間にベラベラ話したりしないのよ」と批判的に言われたこともありました。どうも私は、その辺りの感覚が「普通ではない」ようです。 読んだ人は、私が赤裸々に包み隠さず語っているように感じるのかもしれませんが、当然ながら何も考えずに思いつきで書いているのではありません。色々考えすぎて、書けなくなることもあります。ただ、これは恥ずかしいとか、人には言えないことだという判断基準が、多くの人が考える「普通」と違っているのだと思います。 ああ、それはきっと、衝動的に行動しちゃうADHDだからだよね! と思いましたか? 早合点しないでくださいね。そうではないですよ。私は、障害のことであれ、子育てのことであれ、夫婦関係のことであれ、仕事のことであれ、自分が経験したことは、多くの人が経験するような平凡なことだと思っているからです。 いやいや、発達障害も、海外での子育ても、エア離婚も、人前に出る仕事も、全然平凡じゃないじゃないか、何を“普通の人”ぶっているんだ!と思った人もいるでしょう。 そうですね、私の人生とあなたの人生は違います。ただ、個別の経験は異なっても、その中で感じる痛みや喜びや葛藤やモヤモヤや、人間に対する信頼や生きる不安や、そういうものは普遍的なものではないかと思うのです。そうでなければ、誰も他人の話を理解できないでしょう。文学や絵画や演劇や音楽や映像作品などもこんなにたくさん生まれないはずです。
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