水戸商では甲子園出場を逃すが、能見らと共に「高校生左腕三羽烏」と注目を集める
阪神のエースとして沢村賞を獲得するなど、日米通算95勝をマークした井川慶投手。茨城・水戸商高時代は甲子園出場を果たせなかったものの、平安・川口知哉(元オリックス)、鳥取城北・能見篤史(現オリックス)と並んで「高校生左腕三羽烏」として注目を集めた。今回、Full-Countでは井川氏のプロ入りの原点となった高校時代を前後編で振り返る。
小、中学生時代は地元の軟式野球チームに所属していた井川氏。元々、左投げで背も高くエースとして活躍していたが「町内では普通の投手。○○代表などの肩書はなく最高成績も県大会出場でした」。高校進学の際にも「どうせ、やるなら強くない学校がいいなと。自分が試合に出られないと楽しくないなぁ、と考えていましたね」と、振り返る。
一旦は野球の実力も平均レベルだった私学に進学が決まっていたが、野球部の部長が水戸商の推薦を持ちかけたことで、一転して地元の強豪の門を叩くことに。「考えていることと違うことになりましたが、入ってみると自分のスタイルに合っていた高校でした」。水戸商は、井川氏が入学する前年(1994年)に夏の甲子園に出場するなど、現在まで春夏14回の甲子園を誇る名門。練習は厳しかったものの、「3年間続けることができたのは上下関係もなく暴力も一切なかったから。部活動に集中できる環境でした」。
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