祖国を忘れないため「日本」を学ぶ
ブラジルは移民によって発展した多民族国家だ。日本からの移住がはじまって1世紀以上も経つ今も、約190万人を擁する日系社会が築かれている。 サンパウロから北西に600キロ離れたミランドポリス市アリアンサ。主に農業で生計を立てているこの村の人口は約2200人。そのうち日系人は約530人だ。時には日本語が飛び出し、日本食を食べたり、演歌を歌って楽しむこともある。 2017年7月。アリアンサに3つある日本語学校の一つ、第一アリアンサ日本語学校に7人目の日本語教師として赴任した、長野県塩尻市出身の北沢瑞樹さん、28歳(取材時)。 現地の日本語教師で、日系三世の竹原直美さんと2人で授業を受け持つ。小学生から高校生まで17人(取材時)の日系人が日本語を学んでいた。 日常生活の言語はポルトガル語のため、子どもたちが日本語を使う機会はほとんどない。戦争により一時期日本語が禁止されたことや、日本語を学ぶ機会がなかったことなどの理由で日本語の読み書きができない人もいる。 しかしアリアンサに暮らす日系人は、自分の子どもに日本の文化を伝えたい一心で日本語を習わせているという。その思いに応えるべく、北沢さんも毎週金曜日に「日本への興味を持ってほしい」と日本の文化や食を伝える授業を行う。 「日本とは違う価値観に触れたい」とアリアンサへ赴任した北沢さんは、「日本人らしさも残っているし、ブラジル人らしさもある。何より人生を楽しく生きている辺りは今までの自分になかった視点」と話す。 アリアンサに最初の日本語学校が開校した1928年、長野県からも教師が派遣されていた。しかし、第二次世界大戦がはじまると一切の日本語が禁止になってしまったが、祖国を忘れないためにと戦後アリアンサでも日本語学校が再開する。 1999年には、JICA(独立行政法人国際協力機構)による日系社会青年ボランティア(日本語教師)派遣がはじまった。今回北沢さんは、長野県出身の教員を派遣してほしいという現地の強い要望に応え、長野県とJICAの連携で派遣されたのだ。 日本語学校で学ぶ日系人たちも「日本語を勉強することで別の道が開けるかもしれない」「日本の文化を知りたいし、日本で働いてみたい」と、日本語に可能性を見出している。 生徒たちからは「ちょっと厳しい先生」とされる北沢さんが村を歩くと、教え子や顔見知りの子どもたちが寄って、日本語で話しかけてくることもあり、慕われている様子が目にとれる。
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