作家・江上 剛
今回のテーマと直接関係がないことのように思えるが、私は今、この国のことが非常に心配になっており、本論に入る前にぜひ、聞いていただきたい。
私が心配しても、何かが変わることはないのだが、何が心配かと言えば、国のリーダーたちが平気でうそをつくことだ。
◆国民には丸分かり
森友、加計問題の時は、財務官僚がうそをついた、その結果、現場で苦労していた近畿財務局の人が自殺する悲劇が起きた。あの時、重要なことは全く文書化されていなかった。また、文書化されていたとしても都合の悪い文書は破棄されてしまった。
今回は総務省だ。旧郵政省の電波関係だ。ニュースで見るだけなので断定はできないが、要職にある審議官は接待を受けていないと言い、墓穴を掘った。
過去に担当大臣だった人たちは、会食はしたが接待は受けていないと、「ご飯論法」でけむに巻いた。担当大臣は、野党の追及に国民に疑念を抱かれるような接待、会食はしていないと何度も答えた。
ちゃんと答えない姿勢を見て、疑念を抱かれない(?)会食、接待はあったのだろうと、国民には丸分かりなのに…。疑念かどうかは、おまえが判断するな、と半畳を入れたくなる。
野党が弱いせいなのか、週刊文春頼み過ぎるのか、とにかくこの国のリーダーたちの厚顔無恥も甚だしい。恥を知るという言葉とは、無縁なのだろうか。
東京オリンピック・パラリンピック招致の際、当時の安倍晋三首相が原発事故は「アンダーコントロール」と大見えを切ったが、実際は汚染水も汚染土の問題も解決していない。大うそだ。「復興五輪」の言葉が今や、むなしい。
国民の多くは、オリンピック・パラリンピックをやる意義がどこにあるのだろうかと、いう気持ちになっている。もちろん、アスリートの人たちの頑張りを見ると、何とか実施してあげたいと思うのは人情だが、そもそも商業主義に落ちてしまったオリンピック・パラリンピック自体を、見直す時期に来ているのではないかと思う。
いずれにしても、何もかも、その場その場を繕うばかりで、先々のことを考えていない。問題が起きると、責任を回避し、平気でうそをつく。
中でも驚いたのは、東北新社の社長が外資規制違反に気付き、総務省の課長に相談したと発言したことだ。
当時の課長は今や出世し部長になり、国会で「記憶はない」「(そんな)重要な話を聞いていたら覚えているはず」と発言した。官僚になるための試験は記憶力重視なのに、どうして誰も彼も物忘れが激しいのか。ほんの少し前のことなのに。「忘れた」と言えば、質問をかわせると思っている姑息(こそく)さが腹立たしい。
実は、重要なことを官僚がごまかそうとする場合、文書に残さないのが伝統的流儀なのだ。
あの東北新社社長の発言で、私はデジャブ(既視感)に襲われた。
◆あうんの呼吸
1990年代に証券会社のファンドトラストの損失補てんが大きな問題になった際、当時の野村証券社長が「大蔵省とご相談しておりました」と発言したのだ。
あの時はバブル真っ盛りで、証券会社は運用を依頼してきた会社と「にぎり」と称する「利回り保証」を行っていた。バブルが崩壊し、株価が大幅に下落した際、会社側が証券会社に損失補てんを迫ったのだ。
そこで野村の社長は当時の証券局長など、責任者に損失補てんをしますとか、何とか相談したのだろう。証券局は、文書などに残さないが、暗黙の了解があったに違いない。
ところが、マスコミにこの事実が暴露されるや否や、大蔵省も当時の橋本龍太郎蔵相も、社長の発言に激怒し、否定した。その結果、社長は引責辞任に追い込まれた。
事ほどさように官僚は、大事なことは「あうん」の呼吸で、文書は出さないのだ。これは、私が銀行員時代に大蔵省銀行局との窓口を担っていた時代にも、大いに経験したことである。
だから、今回の東北新社社長の発言に、総務省側は知らぬ存ぜぬを決めたのだと思う(これはあくまで私の推測であり、事実ではないかもしれない)。
この暗黙の了解、あうんの呼吸のために、許認可権を持つ官僚たちと、業者と呼ばれる会社との接待が必要なのだろうと推測する。
かつての銀行と大蔵省との関係の場合は、そうだったから。あうんの呼吸のためには、接待で気心を知っておく必要があるということなのだ。
私が言いたいのは、会社側も大事な話を官僚とした場合は、公正な文書で残せ、また、官僚たちからの文書を伴わない指示は受けるな、文書をよこせと言いなさい。
それから、ややこしい相談事は昼間にしなさいと、こういったことだけでも、くだらない悲劇はなくなるだろう。
からの記事と詳細 ( 平気でうそをつくリーダーたち だから電力自由化だって心配だ【怒れるガバナンス】:時事ドットコム - 時事通信 )
https://ift.tt/2QBqN9Q
No comments:
Post a Comment