女らしく、男らしく、母親らしく、父親らしく……、とは一体なんなのだろうか。これほど暴力的で、ナンセンスな言葉もないと常々思う。人の得手不得手や好みは、性別や役割で決まるわけではない。なのに、「○○らしく」や「普通はこう」といった言葉で、他者に対しても自分に対しても、「らしさ」を押し付けてしまう。たいてい、無自覚にである。無自覚な言葉の暴力だと私は思う。 【画像】義母から家事を監視されている感覚に次第に息が詰まって…
『母親だから当たり前? フツウの母親ってなんですか』(龍たまこ/KADOKAWA)は、そんな「らしさ」や「普通」と戦う物語である。育児マンガではあるものの、育児をしたことがない人でも、「らしさ」に苦しんだことのある人には何かしら響くものがあるはずだ。
本作の主人公あかりは、夫の平太と2歳の未来と暮らしている。
……と、聞いて、どんな家庭を想像しただろうか? 多くが、夫の平太がスーツを着て仕事カバンを持ち、妻のあかりがエプロンでもして子どもを抱いている絵を思い浮かべなかっただろうか? 少なくとも、私はつい、そういう絵を想像してしまう。そうと決まっているわけがない、家庭によってそれぞれだ、とわかっていても、無意識に染みついているステレオタイプな“家庭”の絵である。正直悔しい。これまでの成長の過程で触れてきたものが、自分の中に「普通はこう」を形作ってしまっている。こうした積み重ねが、無自覚に「○○らしく」などの押し付けを生む。そこにせめて自覚的でありたい、と思っている。
さて、話は戻るが、あかりはある日、夫側の義両親と、敷地内同居をすることになる。家は独立しているものの、敷地内の隣同士。スープのさめない距離どころか、揚げ物すらカラッとしたまま持っていけるほどには近い。義両親は典型的な“昭和の夫婦”であり、父親は口を開けば「男たるもの云々」、母親は3歩下がって家事育児。その形こそが家族のあるべき姿であり、「男らしく」「母親らしく」することが幸せな家庭の秘訣だと信じて疑わない。
からの記事と詳細 ( 母親だから当たり前? “フツウの母親”って何? 「~らしく」や「普通はこう」に縛られない生き方とは(ダ・ヴィンチニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
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