日本におけるメタバースの先駆的な取り組みであり、代名詞とも言えるのが「バーチャル渋谷」だ。東京都渋谷区公認で、KDDIの依頼を受けたクラスター(東京・品川)の制作により2020年5月にオープン。バーチャル空間に精巧に再現された渋谷でイベントが楽しめるほか、アバターで散策もできる。実在する街を本格的なバーチャル空間にした日本初の取り組みは大きな話題を呼んだ。そのなかでも爆発的に参加者を集めたのが、「バーチャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス」。20年には40万人、21年には55万人のアバターが世界中から訪れた。新型コロナウイルス下のハロウィーンでリアルの渋谷に代わる場所にもなり、毎回多くのメディアにも取り上げられている。
「バーチャル渋谷」のイベント名にはauの名前が付くことが多い。それは、クラスターに出資する(※)KDDIがプロジェクトの中心を担っているからだ。KDDIと渋谷未来デザイン、渋谷区観光協会などで組織する渋谷5Gエンターテイメントプロジェクトが「バーチャル渋谷」を運営。メタバースプラットフォームには「cluster」が使用されていて、パソコンやスマートフォンのアプリから参加ができるため、大規模な集客が可能となった。
※KDDIは20年1月にKDDI Open Innovation Fund 3号として、テレビ朝日ホールディングスなどとクラスターに出資。クラスターは総額8.3億円の資金調達を実施したと発表した。
今では認知度もある「バーチャル渋谷」だが、実はコロナ禍で突然、立ち上げが決まった。2020年3月に動き始めて、そこからわずか2カ月半でオープン。しかも、最初は常設する予定もなかったという。
今回は「バーチャル渋谷」誕生の背景について、KDDI事業創造本部副本部長の中馬和彦氏と「cluster」を運営するクラスター取締役COO(最高執行責任者)の成田暁彦氏に、前後編で話を聞いていく。
中馬和彦(ちゅうまん・かずひこ)
KDDI事業創造本部副本部長
1973年生まれ、鹿児島県出身。KDDI 事業創造本部 副本部長として、スタートアップ投資をはじめとしたオープンイノベーション活動、地方自治体や大企業とのアライアンス戦略、および全社横断の新規事業を統括。経済産業省 J-Startup推薦委員、経団連スタートアップエコシステム改革TF委員、東京大学大学院工学系研究科非常勤講師、バーチャルシティコンソーシアム代表幹事、一般社団法人Metaverse Japan理事、クラスター社外取締役、Okage社外取締役
成田暁彦(なりた・あきひこ)
クラスター取締役COO
1983年生まれ、神奈川県出身。サイバーエージェントでネット広告営業を経験後、子会社による新規事業立ち上げを担当。その後、CyberZで広告部門の営業統括および企画マーケティング部門、海外支社の責任者を兼務。2019年10月よりクラスターに参画し、ビジネス、制作、アライアンス全般を管掌。20年9月より取締役就任
きっかけはコロナ禍の『攻殻機動隊』イベント
「最初に言っておきたいのが、バーチャル渋谷は、もともとはメタバースを想定していたものではなかったんです」と中馬氏は明かす。
20年5月19日、バーチャル空間内に渋谷駅前そっくりの街「バーチャル渋谷」が出現。スクランブル交差点にはステージが現れ、初めてのイベント「#渋谷攻殻NIGHT by au 5G」が開催された。
これはコミックが原作でアニメやハリウッド実写映画にもなっている近未来SF『攻殻機動隊』をテーマにしたイベント。同年4月から新作アニメ『攻殻機動隊 SAC_2045』がNetflixで全世界に配信されたことを受けて企画されたものだ。
さらに、渋谷駅をはじめ、街全体が『攻殻機動隊』の世界観で彩られた。作品の舞台である2045年をイメージし、5G通信を表現したサイバーパンク風の光がビルの間を走り、作品に登場する多脚戦車「タチコマ」や、作品の歴史をたどった系譜が展示された。一般の参加者はアバターでバーチャル空間を自由に歩き回り、見学できた。
このイベントを皮切りに、「バーチャル渋谷」は日本のメタバースの代名詞と言われる存在に進化していく。
「KDDIとしては5Gの時代が来たこともあり、現実世界と仮想世界が融合したXR技術を使って未来感あふれる渋谷のカルチャーを楽しむ機会を作ろうと、渋谷区観光協会・渋谷未来デザインと19年9月にプロジェクトを組成。拡張現実のAR空間でバーチャルファッションショーの開催や、渋谷PARCOの工事中にあった『AKIRA』のアートウォールの再現などに取り組んでいました。
それとは別に、Netflixでの新作配信に合わせて、“『攻殻機動隊』が渋谷をジャックする”というテーマで、スクランブル交差点にスマートフォンをかざすとタチコマが見えるなど、リアルの場所とAR(拡張現実)を組み合わせた双方向型のコンテンツを作って、20年4月から展開する予定でした。ところが、2月になって新型コロナウイルス感染症が広がり始めて、2月後半には用意したコンテンツをリアルの街では提供できない状況になってしまった。
でも、Netflixは当時絶好調で配信はスケジュール通り行われる。どうしようと考えて思いついたのが『バーチャル渋谷』だったんです。もともと22年頃に始める構想を持っていたのを前倒しして、『攻殻機動隊』のために作ったコンテンツをバーチャル空間の渋谷で展開しようと考えました」(中馬氏)
「バーチャル渋谷」を作ることを決めたのは3月。中馬氏はメタバースプラットフォームの「cluster」を運営していたクラスターに声をかけた。クラスターは短い期間でクオリティーの高いバーチャル渋谷を作り上げて、わずか2カ月半後のオープンにこぎ着けたのだ。
メタバースをスマホアプリで実現、集客のカギに
KDDIはXR系のスタートアップに対して、日本でいち早く、しかも数多く投資している会社でもある。クラスターも投資先の1社だった。スタートアップ支援の責任者を務める中馬氏は、バーチャル空間でのイベントを得意としていたクラスターの技術を高く評価していた。
「時間がないなかで僕らが作りたい『攻殻機動隊』の世界観を実現できるのは、パートナーのなかではクラスターしかないと思いました。当時バーチャル空間に多くの人が同時に入って、高いクオリティーでライブなどを見ることができる技術を持っていたのは、世界中でもクラスターだけだったので。
もともとクラスターに投資したのは、インターネットが2Dから3D化するのが自明だったからです。テキストだけのホームページからSNSも含めて静止画を伴うようになり、TikTokなどの動画に変わっていった。いずれ3Dになるのはタイミングの問題だけでしょう。それで(クラスターの)社長の加藤直人さんに三顧の礼を尽くして出資させてもらえるようにお願いして、トップシェアになったことで取締役に就任しました」
中馬氏は取締役になってクラスターに依頼したことが1つだけあった。それは「cluster」のスマートフォンアプリの開発だった。
「加藤さんはVR(仮想現実)の没入感を大事にしたいと思い、できるだけヘッドマウントディスプレーを前提としたクオリティーを守りたいと考えていました。ただ、Oculus Questも発売されてはいたものの、一般に普及するまでにはこの先3、4年はかかるのではないかと感じていました。
スマホでは加藤さんが考えるクオリティーが実現できないかもしれません。けれども、誰もが持っているデバイスであるスマホで楽しめることは重要です。エントリーユーザー向けにも取り組まないと、クラスターが目指す世界観に階段が積み上がらないのではないかと話して、スマホアプリを作ってもらいました」
「cluster」のスマホアプリがリリースされたのは20年3月。つまり、『攻殻機動隊』がバーチャル渋谷をジャックする話がクラスターにもたらされたのとほぼ同じ時期だった。クラスターの成田氏は、バーチャル渋谷が最初から多くの人を集めて話題になったのは、スマホアプリがあったからだと確信している。
「当初から社内に構想はあったものの、実装が間に合うのか不安なところはありました。結果として無事開発が間に合い、バーチャル渋谷を作る直前に、それもコロナ禍になったタイミングでスマホアプリをリリースできたことが、本当に大きかったと思います。スマホアプリが出ていなかったら、バーチャル渋谷は帆を張ってない船が出港するようなものでした。スマホアプリという帆を張ったことで、市場の追い風を受けて一気に前へ進むことができました」(成田氏)
2カ月半でできた「バーチャル渋谷」のこだわり
それにしてもメタバースのプラットフォームがあるとはいえ、なぜクラスターは2カ月で精巧な出来栄えのバーチャル渋谷を作ることができたのか。成田氏は、持ちかけられたときに迷いなく受けたと話す。
「現実の世界をバーチャル空間にコピーする“デジタルツイン”の構想が世の中にあることは僕らの耳にも入っていて、何かやりたいなと思っていました。それがまさかのKDDIからの依頼で、それも日本を代表する街の渋谷を作る話だったので、2カ月半しかなくても社を挙げてやらせてくださいと言えました。
当然ながら他の仕事もあるので、デザイナーからは驚きの声も上がりましたが、他のプロジェクトもしながらでは間に合わないと思い、リソースを一気に振りました。クラスターとしてもここは勝負するところだと考えて、いただいた話に飛びつきました」(成田氏)
2カ月半という短い時間しかないなかで、クラスターのスタッフはすぐに渋谷にロケハンに行き、渋谷駅周辺で膨大な写真を撮影した。その写真を使って、渋谷の街をゼロからモデリングしたと成田氏は説明する。
「明確なオーダーは、『攻殻機動隊』とのコラボレーションと、渋谷を象徴する空間を作ること。渋谷をどのエリアまで作るのかは任せていただきました。そこで、いろいろな角度から写真を撮り、渋谷らしく見せるための画角を研究。スクランブル交差点から109を見上げる角度や、この角度ならこの通路が見えるといったところまで、細かく再現しています。
渋谷らしさを出すために特にこだわったのは、ビルの看板です。渋谷は看板が多い街なので、リアルではここにこんな雰囲気の看板があったとイメージできるようなパロディーの看板を、数百枚にわたって作りました。今は多くのバーチャル渋谷風の空間が乱立しつつありますが、渋谷区の公認もいただいて、細部にわたって精巧に再現できているのはcluster上のバーチャル渋谷だけだと自負しています」(成田氏)
ユーザーや企業から大きな反響を得て進化
『攻殻機動隊』のためにスタートした「バーチャル渋谷」は常設になり、現在まで進化を続けている。常設になった最大の要因は、オープン時の反響の大きさだった。中馬氏のところには問い合わせやプロジェクトへの参画の要望が相次いだ。
「ものすごく話題になって、問い合わせは毎日寄せられ、それこそ電話が鳴り止まないような状況でした。コロナ禍で外出もできず、店も開けることができず、イベントも開催できないなかで、唯一バーチャル渋谷だけが何かをできる場所になっていたからでしょう。
プロジェクトも最初は渋谷区や東京都、それに当社を含め数社くらいでスタートしましたが、一緒にやりたいという企業が増えて、今では74社が参画しています。反響があったことでバーチャル渋谷を継続して成長させることにつながりました」
20年10月に実施した「バーチャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス」にはのべ40万人、21年同イベントにはのべ55万人が世界中から参加するなど、「バーチャル渋谷」の集客力は驚異的なレベルに達した。「バーチャル渋谷」によって日本でメタバースが広がったと成田氏も感じている。
「バーチャル渋谷に取り組ませていただいたことで、2つの変化がありました。1つはメタバースやclusterを多くの企業や一般の方に知ってもらえたことです。企業からの問い合わせは年間1000社近くに及ぶほどに急増しました。
もう1つは、若い会社だったクラスターの納品レベルが、バーチャル渋谷を通して上がり続けていることです。オペレーションの部分や、ビジネスの取り組み、制度への対応など、KDDIさんにアドバイスやフォローをしていただいたことが、すごく学びになり、今も成長させていただいています」
世界的にも注目されている「バーチャル渋谷」は、コロナ禍でリアルのイベントができなくなったこと、clusterのプラットフォームを使ったこと、それにスマホアプリが開発されていたことなど、いくつもの偶然が重なって参加者が爆発的に増えた。もちろん、それは容易に実現できたわけではない。運営していくなかで予期せぬ出来事もあれば、うれしい変化も起きたという。次回は「バーチャル渋谷」が成長した舞台裏について、引き続き2人に聞く。
後編に続く
構成/平島綾子(日経エンタテインメント!編集部)
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