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Tuesday, August 11, 2020

ベラルーシについて知らないかもしれない5つのこと……世界的な重大事との関係 - BBCニュース

People carry a Belarus flag

9日に投開票された東欧ベラルーシの大統領選で、現職のアレクサンドル・ルカシェンコ大統領(65)が6期目の当選を果たし、同国は再び注目を浴びることとなった。

ルカシェンコ政権が1994年以来続いている。欧州最後の独裁国家とも呼ばれている。そのほかに、ベラルーシについて、どういうことを知っているだろうか。

1986年のチェルノブイリ原発事故で受けた影響から、東欧の国ベラルーシのスポーツ界のスター選手に至るまで。あなたが興味を持つかもしれないことを5つ紹介しよう。

第2次世界大戦では人口の実に25%が犠牲になった

A veteran sits as children hold images of soldiers that fought in the war

第2次世界大戦中、ベラルーシは人口の約25%を失ったと考えられている。

ベラルーシの当時の推定人口900万人超だ。しかし、そのうち160万人以上の民間人と60万人以上の兵士が戦時中に死亡した。その中にはユダヤ人のほぼ全人口が含まれていた。

ルカシェンコ氏、在任期間が欧州最長の国家元首

しかし、中立な選挙監視団の立会いがなかったため、不正選挙の懸念が出ている。

ルカシェンコ大統領の対立候補として出馬したスヴェトラーナ・チハノフスカヤ氏(37)も、この選挙結果を受け入れていない。

President Alexander Lukashenko, 3 Jul 20

ルカシェンコ氏は1994年に政権を握った。

その強権的な政治手法は、西側諸国からたびたび批判されてきた。

2005年には、当時のブッシュ米政権がルカシェンコ氏を「暴政の前哨基地」を率いる「欧州最後の独裁者」と呼んだ。

ルカシェンコ氏はかつて、野党集会に参加する者は誰であれ「テロリスト」として扱うと警告。「そんな連中は、首を絞めてやる。カモのように」と付け加えた。

人権団体は、ルカシェンコ氏による様々な人権侵害や虐待があったと非難している。

ケネディ暗殺事件、実行犯とされるオズワルド氏はミンスクに住んでいた

Lee Harvey Oswald with friends in Minsk

元米海兵隊員のリー・ハーヴィー・オズワルド氏は20歳の時に旧ソビエト連邦へ渡った。マルクス主義者を自称していた。

ソ連国家保安委員会(KGB)はオズワルド氏の亡命申請を拒否した。この日は持っていた観光ビザが切れる日で、オズワルド氏は手首を切った。国際的な事件に発展することを恐れ、ソ連当局は在留を認めた。

その後、ベラルーシ・ミンスクへ送られ、ラジオやテレビの製造工場での仕事を与えられた。市内中心部の1ベッドルームのアパートで暮らした。

当時、オズワルド氏はミンスクに住む数少ない外国人の1人で、唯一のアメリカ人だった。

1961年にマリーナ・プルサコワ氏と結婚。翌年に娘が生まれ、1962年にアメリカへ移住した。

1963年11月22日、テキサス州ダラスでジョン・F・ケネディ第35代米大統領を射殺したとされる。

チェルノブイリ原発事故、放射性降下物の約7割がベラルーシに降り注いだ

1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)にあるチェルノブイリ原子力発電所で、原子炉4基のうち1つが爆発した。世界最悪の原発事故とされている。

有毒な放射能雲は欧州一帯に広がり、隣国ベラルーシは放射性降下物の影響を最も受けた。危険な粒子の約7割がベラルーシに降り注いだからだ。

An abandoned cooling tower inside the Chernobyl exclusion zone

人道支援団体チェルノブイリ・インターナショナルによると、土壌や大気に影響を及ぼす汚染物質の中には、半減期が2万4400年のものもあるという。

チェルノブイリ原発事故の対策費は、ベラルーシの年間国家予算の20%を占めており、支出総額は約2350億ドル(約24兆9500億円)にまで上ることになると、同団体は指摘する。

また、ベラルーシの約200万人のうち約50万人は高濃度汚染地域で暮らしており、健康へのリスクが高い状況にあるという。

ヴィクトリア・アザレンカ氏、ベラルーシ随一のテニスプレイヤー

Victoria Azarenka

女子テニスのヴィクトリア・アザレンカ氏は、ベラルーシ選手として初めて世界ランク1位になり、2012年には母国初のオリンピックメダルを獲得した。

ロンドンオリンピックの女子シングルスで銅メダル、混合ダブルスで金メダルを獲得したほか、2012年と2013年の全豪で優勝している。

女子テニスの国別対抗戦フェドカップにもベラルーシ代表として出場した。

「ベラルーシで育ったし、両親は今もここで暮らしている。私の人格はここで形成された。ベラルーシに来ると、母国に帰ってきたという感覚になる」

息子レオくんを出産した後の2018年、競技に復帰した。選手生活のペースを落とすつもりはまだ当分ないと、アザレンカ氏はTennis.comに話している。

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August 11, 2020 at 03:40PM
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