東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から10年。少年少女時代に被災し、現在は進学・就職などで地元を離れている若者たちは今、故郷にどんな思いを抱いているのか。連続インタビューの第8回は、仙台市出身で出版社「ライスプレス」(東京・渋谷)で働く成田峻平(なりた・しゅんぺい)さん(24)にオンラインで聞いた。 成田さんが被災したのは市立仙台青陵中等教育学校2年(一般の中2)のとき。断水などライフラインが途絶えた震災後の経験から、日常生活の大切さを知った成田さんは「豊かな生活、より良い生活とは何か」と自身に問い続ける。勤務先のライスプレスは、ライフスタイルとしての「食」を発信する情報メディアだ。
■頼もしい父の姿
――「故郷の1枚」に家族写真を選んでいただきました。背景の店舗は。 「曽祖父がかつて運営していた仙台の帽子店です。2階部分が住居になっていて、祖父や父の生家でもあります。自分が6年生(同高3)のとき、取り壊すことになり、その前に家族で撮った写真です。チェーン店がきらいではないけど、町ごとの文化を表現しているような店が好きなんですよね。この店も本当はうまい形で残せたら良かったなという思いもあります」 ――震災発生後はどんな状況でしたか。 「急に水道・ガス・電気などのライフラインが全て断たれてしまいました。ガスが遅くて2週間ぐらいかかり、スーパーもしばらく閉店しました。家に備蓄はありましたが、食料供給が安定するのにどのぐらいかかるか分からなくて不安でした。ライフラインの一つ一つが戻ったときには、すごくほっとしましたね」 「父親がすごく頼もしかったのも覚えています。震災時に認知症の祖母を祖母宅から連れてきたり、倉庫から引っ張り出してきた手回しのラジオで情報をキャッチしたり、スーパーが閉まっているなかで食料をどう分けていくかを考えたり、テキパキと動いていました。自分は何もできない弱い存在だなと感じたのと同時に、将来は自立した大人になりたいなって、思いました」 ――自身の価値観や人生観に変化はありましたか。 「月並みですけど、日常のありがたさに気付いて、今なんで自分は幸せを感じたんだろうといったことを考えるようになりました。絶対後悔しないように生きたいとの思いも人一倍強いかもしれません。こだわりが強くて、こじらせた気もしますが」 「震災後に出てきた考え方にはとても影響を受けたと思います。大量生産・大量消費のサイクルがもたらす環境負荷への危惧というのは、特に震災を機に見つめ直そう、襟を正そうとする人が多かったはずです。エネルギーはどこから調達するのが良いのか、何を食べるのがいいのか。日常生活にまつわる問いに対する一人ひとりの選択が地球環境に影響を与えると思うんです。大学では政治や都市政策を学びたいと思って明治大学政治経済学部政治学科に進みました」 ――「食」への関心も当時からあったんですか。 「そうですね。多感な時期の自分にとってクールに映ったのが、工業的な食に対する代替としてビール、チョコレートから、パンやチーズに至るまで、伝統的な加工品を手仕事に誇りを持ちながら作り上げる職人たちや、オーガニック野菜を作る農家の方々でした。それらは一見すると先祖返りに見えるかもしれませんが、昔から続くスモールビジネスを現代の感性でデザインしていることが、とてもかっこいいと思ったんですよね」 「大学3~4年のときには、東京・青山の国連大学前で展開していた『ファーマーズマーケット』でバイトしていました。初めて見たとき、ファッションの街で野菜を売るという行為がすごくロックでかっこいいと思って。今の勤め先との出合いもこのマーケットでした。大学4年の夏からインターンして、そのまま卒業後に入社したんです」 ――就職活動はしなかったんですか。 「就活は全然ちゃんとやっていなかったですね。思ってないことを平気で言うような風潮などが、うさんくさいなと思っていて。でも自分の幸福観を、就活のときにじっくり考えることができたのは良かったです」 ――幸福観とはどんなものですか。 「食事のときに誰かが一緒にいて、他愛もない話をするような時間をイメージしたんです。だから、自分の幸福とは、自分だけが幸せなときじゃない。周囲の人が明るくなる環境をつくりたいと思ったんですよね」
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