共同通信
佐野慎輔さん
激しくぶつかる車いすラグビーの衝撃、1球に気を込めるボッチャの集中力、高く跳ぶ義足のジャンパー、目の不自由なランナーと伴走者の絆…。皆さんはパラアスリートの姿を通して何を感じられただろう。
開幕前、夏季6大会連続、冬季と合わせて8度目のパラリンピックに臨む車いすアスリート土田和歌子に聞いたことがある。「東京で何を見て、感じてほしいか」と。
「何よりも人間の可能性の大きさを感じてもらえれば…」と切り出した土田は話をこう続けた。「障害があっても、スポーツによって可能性が引き出され、トレーニングによって卓越した技術を身につけた選手たちの姿を目にして、障害のある人への理解が進み、障害の有無にかかわらず生きやすい社会の創出につながってほしい」
卓越したパラアスリートへの感動、称賛がすぐに「生きやすい社会」に結びつくとは思わない。ただ障害のある人が普通にスポーツを楽しみ、訓練によって成果をあげた現実を大切にしたい。
私は今67歳。階段の上り下りに少し不自由さを感じるようになった。また外国語が十分できない人なら、1人海外に出ると、話し、聞き、読むことが滞る。つまり、誰もが“障害者”となり得ると言ってもいい。
障害は環境がつくり出すものだと思う。障害を自分事として考えていけば、障害者への理解と共感は進む。それが「生きやすい社会」に変容する始まりだと信じる。
小学校高学年向けに著した「中村裕」(小峰書店)の取材以来、私はパラスポーツこそ障害者と健常者とを隔てる意識を変える入り口になると考えている。
中村は日本で初めて障害者とスポーツを結んだ医師である。1964年の東京大会開催に尽力、成功につなげた。しかし中村の意識はそこにとどまっていない。障害者が職業を持ち、自立できるよう65年10月、大分県別府市に社会福祉施設の「太陽の家」を開いた。
きっかけは大会期間中、自ら調査した選手の職業の有無。大半が職業を有する海外選手に対し、日本選手53人中、職業を持っていたのは5人にすぎなかった。
「太陽の家」は今、別府市内の約2万6千平方メートルの敷地に事務局や居住棟、共同出資企業の工場などが広がる。体育館やプール、銀行にスーパーマーケット、公衆浴場までそろい、地元の人たちと自然に混じり合う共生社会のモデルである。
2021年、パラスポーツ理解と公共施設のバリアフリー化は進んだ。しかし、日本は障害者が「生きやすい社会」になってはいない。障害者雇用も進まない。2度目のパラリンピック開催をどう生かせばいいのか。投げられたボールは私たちの手元にある。
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さの・しんすけ 1954年富山県生まれ、早稲田大卒。サンケイスポーツ代表など歴任。障害者スポーツを支援する笹川スポーツ財団理事。2020年より現職。
からの記事と詳細 ( 障害を自分事として考えて 生きやすい社会へ変わろう 佐野慎輔(尚美学園大教授) リレー評論「解読パラリンピック」 - 47NEWS )
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