2005年11月15日、黒田慶樹さんとの結婚式と披露宴の日を迎えられた紀宮さま(現・黒田清子さん)。ご結婚により皇族としての身分を離れられるまで、内親王として本格的に公務に励み、外国を公式親善訪問したのは、紀宮さまが初めてでした。ジャーナリストの友納尚子氏による「サーヤのご結婚 その全真相」(「文藝春秋」2005年1月号)を特別に全文公開します。(全3回の1回目/#2、#3に続く)
(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)
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11月25日。いつのまにか、髪に白いものが目立つようになった秋篠宮殿下は、例年どおり紀子妃とともに39歳の誕生日を控え会見を行った。
会見のやりとりは宮内記者会が事前に提出した質問に沿って行われる。この日、記者たちが特に注目していた質問は、2004年5月に皇太子殿下が「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言されたことへの感想だった。当時、この皇太子発言を重く見られたのだろう、天皇皇后両陛下は会見内容を確認されるとともに、後日、湯浅利夫宮内庁長官らを御所によばれている。
初めて公の場で苦言を呈す
秋篠宮さまは、言葉を選びながら次のようにお答えになった。
「その発言について、私も少なからず驚いたわけですけれども、陛下も非常に驚かれたというふうに聞いております。私の感想としましては、やはり少なくとも記者会見で発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったかと思っております。そのところは私としては残念に思います」
思わぬご発言に、宮内庁担当記者は驚きを隠せない。
「内容に直接言及されたわけではありませんが、皇太子殿下の行動に、弟君が公の場で苦言を呈したのは初めてのことです。皇太子殿下が2月の会見でおっしゃった、雅子妃の『東宮御所での生活の成り立ちに伴う様々な苦労』についても、『私ちょっと、どういう意味なのか理解できないところがありまして、前に皇太子殿下本人に、どういうことなのか尋ねたことがあります』と、疑問を投げかけています」
秋篠宮さまは、あくまでも個人的な意見であると前置きされた上で、なお次のようにも述べた。
「私がいつも思っているのは、自分のための公務は作らない。つまり、自分がしたいことというのは、いろいろあるわけですけれども、それがイコール公務かどうかはまた別ですね。ですから、公務というのはかなり受身的なものであるのではないか。こういう行事があるから出席して欲しいという依頼を受けて、それを受けてその務めをするという。私自身はそういう風に考えて、今までずっと来ています」
公務に対して自分の意思は抑制的であるべきだ――。このご発言も、皇太子が2004年2月のお誕生日会見で、「今の時代にあった公務のあり方を、宮内庁も含めて真剣に考えていただきたい」と要請した内容に、呼応したともとれる。
からの記事と詳細 ( 「そういう事の運びとなりました」婚約内定スクープ直前、紀宮さまからご友人に“意味深”なメールが…《サーヤのご結婚全真相》 - 文春オンライン )
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