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Monday, January 17, 2022

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】明菜だからできた新曲の代わりに「カセットテープ企画」 ラジオCMでノリノリも…「正直、売れたとはいえなかった」 - ZAKZAK

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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡

一歩ずつ明菜は大人になっていく
一歩ずつ明菜は大人になっていく

中森明菜の通算15枚目シングル「ジプシー・クイーン」は、思わぬ事態であらぬいわくがついたが、作品への評価は高く、最終的に1986年のオリコン年間シングル・チャートで7位という好成績を残した。

作詞者である松本一起は「今振り返ると僕にとっても86年は作詞家としてひとつの転機になった年でした。とにかく明菜ちゃんの作品を書いたことで力強いパワーをもらったことは確かです。この年は『Fin』(9月25日発売)を含め2曲の作品を提供しましたが、作詞家として大きく飛躍するキッカケになりました」。

一方、明菜にとってもアーティストとして精神的にも余裕が出てくる年になったともいわれる。そんな中で生まれたのがカセット・テープ企画「ノンフィクション・エクスタシー」だった。

同曲は「Fin」に続いて、前述した通りカセットテープの限定作品で11月10日に発売された。ただ発売をめぐっては、明菜の所属レコード会社だったワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)内でちょっとした論議になった。ワーナーで担当ディレクターだった藤倉克己は振り返る。

「社内的には年末に向けて、シングルを出すべきだという声があったのです。86年は2月に『DESIRE―情熱―』、5月に『ジプシー・クイーン』、9月に『Fin』を出していたので、ローテーション的には12月にシングルを出すべきなのです。ただ僕の立場からすると前年に『レコード大賞』を狙える曲を作れと上司だった寺林(晁=現エイベックス・エンタテインメント・レーベル事業本部アドバイザー)さんから指示を受けていましたからね。気持ち的にもプレッシャーが大きかったのです。結局、寺林さんも年末に向けては『DESIRE―情熱―』の露出を増やそうと考えていたので、新曲は控えたかった。で、代わりに提案したのがカセット企画でした」

洋楽部ディレクターから邦楽部に異動し、明菜の制作担当を任されて2年目を迎えた藤倉には「明菜だからできる」という確信があった。

「明菜作品でコンセプトにしていたのは、『歌う兼高かおる』『兼高かおるの世界』でしたが、その上で歌謡曲の王道を行くことと何事にもチャレンジすることでした。そのコンセプトの中で出したのが12インチシングル『赤い鳥逃げた』であり『ノンフィクション・エクスタシー』でした。とにかくカセット・テープのみで行こうと最初から決めていました」

営業担当者からは疑問を投げかける声もあったが、「カラオケファンを狙った企画を考えたのです。というか、明菜のファン層を広げたいと思い、ならば年配者を狙ったカセットテープがいいだろうと」。

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