御厨貴・東京大名誉教授(政治学)の話 保守政治家としての存在感は強烈で、政策についてもよく勉強していた。1970年代に中川一郎氏らと「青嵐会」を結成し、自主憲法制定などを掲げた。民族主義ともいうべき右派の思想をアピールした。
ただ、当時の自民党は今よりリベラル色が強く、彼は主流派にはなれなかった。自分が目立ちたい人だから、仲間と集団を作って行動しないとならない国会議員は向いていなかったのかもしれない。
いったん政界を引退した後に復帰して東京都知事になるという不思議な復活を遂げた。
都知事としての実績で印象に残るのはディーゼル車の排ガス規制。ただ、都政の様々な改革に手を付けたが、それほどうまくいったとは思えない。いわば「お騒がせ知事」だった。強い指導力を発揮し、東京都を他の道府県とは違う存在に押し上げる発信力は優れていた。
一方で失言が多かった。差別的な発言など是認できないものがあったのに「石原さんだから仕方が無い」と許されてしまう面があった。影響力が大きい人ゆえに政治家の失言が許される世の風潮を作ってしまった。それは負の遺産だ。
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