震災の津波で死者14人、行方不明2人の被害を出した千葉県旭市飯岡地区。中学校の卒業式直前に被災した大木沙織さん(26)は今も同級生らと伝承活動を続ける。大学に行って、旭市が被災したことを誰も知らないことに驚いた。「私たちが伝えていかないと」。11日には7人がそれぞれ11年間の思いをSNSに発信する。
あの日、中学3年生だった大木さんは市立飯岡中学校の教室で、卒業アルバムを見ていた。激しい揺れに襲われ、迎えに来た母親と海の近くの自宅に帰った。親戚の家に向かおうとした時、津波が玄関ぎりぎりまで迫ってきた。黒い川となった道路を見て、「生まれて初めて死ぬんじゃないかと思った」。
卒業式は3日遅れて3月18日に開かれた。体育館は床上まで浸水した。式の日、その痕跡はなかった。「いろんな人の協力できれいになっていた。友達に会えないまま進学するかと思っていたのでうれしかった」
「被災地」を強く意識したのは神奈川県の大学に入った時。東北からの同級生には「震災大変だったでしょう」と声がかかるのに、自己紹介で旭市出身と言っても反応がなかった。「知られていないんだ」。悲しい気持ちになった。
東北の様子が気になり、岩手県や宮城県の被災地にボランティアに通った。現地の人から「本当の復興は心の復興だ」と言われ、被害は違っても同じ思いだと知った。「飯岡のために何かできないか」。そんな気持ちが芽生えた。
16年に成人式を迎え、再会した中学校時代の仲間と地域のことを考える「トリプルアイプロジェクト」を設立し、代表になった。「飯岡(Iioka)」「私(I)」「愛(I)」の三つの「アイ」を込めた。震災紙芝居の開催や小学校での防災教室に出かけた。
昨年、クラウドファンディングで資金を集め、旭市の被害などをまとめた防災冊子をつくり、市内の全小学校に配った。震災を知らない子どもたちが増えていく。新入生にもわかる冊子がつくれないかと仲間と話し合っている。
中学生で体験した自分たちだから伝えられるものがあるんじゃないか。震災の風化が進む中、「一番最初に忘れられてしまう被災地。だから私たちが語り継いでいかないと」。そんな思いを強くしている。
今は飯岡の自宅で花関係の仕事をしている。市外に出たメンバーも多い。11日、7人はそれぞれの場所から今の思いをインスタグラムのアカウント(@iiiproject_iioka)に発信する。(大久保泰)
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