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Thursday, March 24, 2022

「開幕投手っていうのは格が必要なんだ。だから、おまえなんだ」王監督は手術明けの右腕をそう鼓舞した - 西日本新聞

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  1999年のダイエー初優勝で証明された神通力は2000年も健在だった。西村龍次さんの登板は、ロッテとの開幕戦に先発した1試合のみ。5月に右肘を手術した影響でシーズンをほぼ棒に振った。それでも福岡ドームでリーグ2連覇を決めた10月7日には、王貞治監督から早くも翌01年の大任を告げられた。

 王監督「来年も開幕投手を任せるつもりだから」

 西村「でも、監督…僕は手術していますけど…」

 王監督「いいんだよ!」

 00年は長嶋茂雄監督が率いる巨人がセ・リーグを制した。待望の「ON対決」が日本シリーズで実現。いざ盟友との頂上決戦へ向け、王監督の高揚感はひしひしと伝わった。「浮き浮きした口調というか…。どこまで監督が本気か分からなかったので『開幕をやるつもりで調整してくれ』というふうに受け止めた」

 年が明け、2月の高知キャンプでも続いた打診に、首を縦に振れなかった。「投げられればいい、という問題じゃない。ボールが捕手に届いている、ぐらいのレベル。自分のイメージとはかけ離れていたし、そんなもどかしい状態で開幕投手はできない」。オープン戦に入っても調子は上がらず、意を決して断りを入れたところ、王監督は真剣なまなざしで言い切った。

 「開幕投手っていうのは『格』が必要なんだ。負ける場合だってある。その時にチームメートやファンが納得できなければならない。だから、おまえなんだ」

 西村さんは現役時代、たとえ140キロの真っすぐでも、打者が強くインパクトできないように気持ちで押し込もうとした。「そういう勝負を繰り返すわけだから」。計5度の2桁勝利を含む通算75勝右腕の誇り。「ただ投げているのとは魂が違う」-。その同じ魂を持っていたのが、同い年のチームメートで「炎の中継ぎエース」と呼ばれた藤井将雄だった。00年10月13日に現役投手のまま、病で早世した。31歳だった。

 福岡ドームが見える病院に入院していた藤井の病室を西村さんはよく訪れた。マジック1で迎えた10月7日の本拠地最終戦。連敗した千葉からの移動ゲームに胴上げ要員で球場に呼ばれた西村さんは試合開始直前まで寄り添った。「きょうこそ決まるよ」と何げなく口にすると、短い言葉が返ってきた。「決まらんよ」-。この会話から6日後。藤井は息を引き取った。

 「彼の生きる望みは『優勝』だったけれど、もし決まったら『安心して力尽きるんじゃないか』と。自分自身でそれが分かっていたのでは。それと、もう一つ…」。西村さんは少し黙った後にこう続けた。「優勝目前でもたついていたチームへの藤井将雄なりの“エール”だったのだと思う」

 リーグ3連覇が懸かった翌01年。3月24日のオリックス戦で、西村さんは王監督がこだわった「格」を胸に、福岡ドームのマウンドに上がった。「王監督にあそこまで言っていただいたら、もう断れない。できる限りのことをやった」。3年連続5度目の大役。6回途中まで70球を投げ、3点を失った。試合は敗れた。シーズンも2位に終わり、一つの「神話」に終止符が打たれた。4月の登板を最後に1軍マウンドから遠ざかった西村さんが12年間の現役生活に別れを告げたのは、この年の秋のことだった。(西口憲一)

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