友人が「悔やんでも悔やみきれない」と言う。数年前から病気の父親を自宅で看病していた。ところが、徐々に認知症の症状が進み始めた。昼夜問わず徘徊(はいかい)するようになる。デイケアサービスのお世話になりつつ、主に、昼間は母親と奥さん、夜は友人が看(み)ることにした。父親は夜中に何度も起きてトイレに行く。1時間も続けて眠ることはかなわない。友人は疲労が募って常に体調が悪い。「大丈夫?」と尋ねると「なんとか」という返事。傍(はた)から見ると、その頑張りは限界に来ていたと思う。
やがて父親は息子の顔もわからなくなった。暴言を吐いたかと思うと、急に泣き出す。やむなく老人ホームに入所させることにした。父親は頑(かたく)なに拒んだ。「すぐに迎えに来るから」と方便を使って、逃げるようにして帰った。後ろ髪を引かれる思いで。最初は「家に帰る」とホームの職員を困らせた。しばらくすると、そこが昔からの住み家のようになり、「家に帰る」とは一言も口にしなくなり、友人は反対に寂しさに襲われた…
からの記事と詳細 ( 虹を待つ午後:どっちも正しいのだから=志賀内泰弘 /愛知 - 毎日新聞 )
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