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Wednesday, March 9, 2022

放棄寸前の人生、42歳で目指した舞台 私だから言える「生きて」 - 朝日新聞デジタル

kokselama.blogspot.com

 6年前のあの言葉は、本当だった。

 「努力を続ければ、2022年の北京パラリンピックに出られるかもしれない」

 16年、米ミネソタ州ミネアポリス近郊。「サプライズがある。ブランチでもしよう」と友人に言われ、連れて行かれたのはカーリングクラブだった。

 今、北京の舞台に挑んでいるオユナことバトユン・ウランチメグ(48)と車いすカーリングの出会いだった。

 クラブでは車いすカーリングの米国代表候補が練習していた。オユナが興味を示すかも、という友人の気づかいだった。

 練習に参加させてくれた。ストーンも投げさせてもらった。一緒に食事もして、競技の魅力を教えてもらった。

 冒頭の言葉は、その時に米国代表候補のコーチがかけてくれたものだ。

 大学の「総務補佐」として働き、充実した日々を送ってはいたが、新たな楽しみも探していた。

 「パラリンピック」と聞いて、驚いた。

 五輪やパラリンピックは、幼い頃から競技に打ち込んだアスリートだけが立てる舞台なのだと思い込んでいた。

 車いすカーリングは男女の混合種目。米国代表は高いレベルで競える女子選手を探していた。

 出られるかも。一瞬、そう感じた。オユナは、その気になった。

 意外な事実にも勇気づけられ…

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