6年前のあの言葉は、本当だった。
「努力を続ければ、2022年の北京パラリンピックに出られるかもしれない」
16年、米ミネソタ州ミネアポリス近郊。「サプライズがある。ブランチでもしよう」と友人に言われ、連れて行かれたのはカーリングクラブだった。
今、北京の舞台に挑んでいるオユナことバトユン・ウランチメグ(48)と車いすカーリングの出会いだった。
クラブでは車いすカーリングの米国代表候補が練習していた。オユナが興味を示すかも、という友人の気づかいだった。
練習に参加させてくれた。ストーンも投げさせてもらった。一緒に食事もして、競技の魅力を教えてもらった。
冒頭の言葉は、その時に米国代表候補のコーチがかけてくれたものだ。
大学の「総務補佐」として働き、充実した日々を送ってはいたが、新たな楽しみも探していた。
「パラリンピック」と聞いて、驚いた。
五輪やパラリンピックは、幼い頃から競技に打ち込んだアスリートだけが立てる舞台なのだと思い込んでいた。
車いすカーリングは男女の混合種目。米国代表は高いレベルで競える女子選手を探していた。
出られるかも。一瞬、そう感じた。オユナは、その気になった。
意外な事実にも勇気づけられ…
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