「砂漠に水をまくようなものだ」
ホンダがF1で栄華を極めた1980~90年代初頭の参戦「第2期」。当時エンジン開発に関わった浅木泰昭(64)は、勝利の味を知るひとりだ。
だが、2015年から始まる「第4期」からはこう言って距離を置いていた。「勝てそうなにおい」を全く感じられなかったからだ。
浅木は第2期の後、ミニバンの代名詞となった「オデッセイ」や、大ヒットした「N―BOX」を手がけてきた。
一企業のエンジニアが苛烈(かれつ)な勝負事に身を置くことが、いかに後に生きるか。そのことを身をもって知っていた。
だが勝てそうにない第4期にも、量産車を開発していた部下たちをF1部門に応援に出さざるを得ない。
F1車の動力源「パワーユニット」の開発拠点である本田技術研究所「HRD Sakura」(栃木県さくら市)で悪戦苦闘するその顔が、目に浮かぶ。
注目を集めた最強タッグの復活
ホンダは第4期の復帰当初、英国のチーム「マクラーレン」と再びタッグを組んだ。
第2期の1988~91年の4年間、このタッグで王座を独占。特に88年には16戦15勝という、いまだ破られていない史上最高勝率(93・8%)を記録した。
たばこの「マールボロ」をあしらった紅白の「マクラーレン・ホンダ」のマシンは、このスポーツのアイコンであり続けている。
それだけに最強タッグの復活は、国内外の注目を集めた。
F1は各レースごとの着順によって与えられるポイントの合計で、ドライバー部門と、所属するドライバーの合計得点からなるチーム部門で年間王座を争う。近年は10チーム各2台、計20台が参戦する。
「ホンダがダメだからだ」
ホンダ復帰初年の2015年は、ともに年間王者の経験を持つドライバー2人を擁しながらも10チーム中9位、ドライバー2人は16、17位と低迷。遅くて、よく壊れた。
その年の10月、鈴鹿サーキット(三重県)での日本グランプリ。
所属ドライバーでスペイン人…
からの記事と詳細 ( 「ホンダがダメだから」勢い増すバッシング 腹をくくった勝利請負人 - 朝日新聞デジタル )
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