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Sunday, June 21, 2020

松尾諭「拾われた男」 #37「武庫川の河川敷で」【最終回】(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

 ひょっとすると物心のつく前からかもしれないが、兄に対してずっと競争心があった。兄が持っているものを欲しがったり、兄が食べているものを食べたがったり、兄より多く食べたかったり。兄よりいい学校に行きたかったり、兄より長くラ グビーを続けたかったり。 【写真】この記事の写真を見る(2枚)  ただ弟ながらに、どうも兄のほうが両親から優遇されているような気がいつもしていた。怒られる頻度も兄に比べると高かったし、兄だけいい小学校を受験させ てもらっていたし、中学も私立を受験させてもらっていた。 「なんでお兄ちゃんだけ」と訴えると、そのたび母は笑ってこう言った。 「あんたは昔、武庫川の河川敷で花見してる時に拾ってきた子やからな」  平成の終わりが近づき、時代の流れに逆らうでもなくそれなりに色んな事があった。娘は小学生になり、妻は妊娠した。妹か弟が欲しいと切望していた娘にそれを伝えると、三十分以上泣き続けるほど喜んだが、その一週間後、娘は登校中にトラックにはねられ救急車で搬送された。幸い入院するほどではない怪我で済んだものの、妻はあまりにもショックを受け、お腹の子までどうにかなるのではないかと心配したが、翌年の一月にやたらと丈夫な男児を産んだ。  兄が死んでから父と母は気力を失うこともなく、苦しまずに眠るように逝った兄の死を受け入れたのか、はたまた新たな孫の誕生に色めきたったのか、歳の割にはよく食べよく太って健康に日々を送っているようだった。とは言え、二人が長男の死を忘れられる訳がないというのも同じ親として理解はできたので、兄の事はあまり話題に出さないようにしていた。ただそれは、両親のためを思っての事だけではなかった。

兄とのメールを読み返す

 あの日、受話器の向こうで声を震わせる父に、込み上げるものはあったが、兄の死が琴線に触れる事はなく、仕事を理由に葬儀へも行かなかった。兄に対しての感情には、その後なんら変化は起こる事なく、悲しいとも寂しいとも思えず、かと言って忘れるわけでもなかったが、しばらく経ってふと思い出し、古いメールのアカウントから二十年近く眠っていた兄とのメールの履歴を掘り起こした。素っ気ない内容のメールだと記憶していたが、改めて読み返すと、兄からの文面は妙に優しく丁寧で、それに対する返事も冗談を交えた長文で、どこか他所の兄弟のやりとりのように見えた。しかも、祖母の危篤を報せるメールに返事がなかった事に対して送ったつもりでいた檄文も、激しさどころか気遣いのある文面だった。どこでどう記憶がねじ曲がったのかは分からないが、アメリカで兄と再会した時には、その檄文のせいもあって勝手に気まずさを感じていた。もっと早くにこのメールを読み返していたら晩年の兄とのやりとりは違ったものとなったのではなかろうかと、後悔とも反省とも言えるような気持ちが心の片隅に小さく残ってはいたが、気になるほどのものでもなかった。  兄が死んで変わった事と言えば、いつの間にやら学習意欲が失せ英語の勉強をやめた事だった。それに伴い語学力も低下したので、ウッディやジョン達との連絡の頻度は減り、そのうち疎遠になった。英語を勉強してゆくゆくはハリウッドへ、と密かに目論んでいた計画は頓挫した。

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June 21, 2020 at 09:30AM
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