雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は日本シリーズにまつわる3つの言葉です。 【超貴重写真】落合とニコニコ握手する江夏、イチローは仰木監督の前で嬉しそう…伝説の日本シリーズと“モメた瞬間”などを一気に見る <名言1> 代えられるくらいならユニフォームを脱いでもいいんだと思った。 (江夏豊/Number1号 1980年4月1日発売) ◇解説◇ 2021年、ヤクルトとオリックスの日本シリーズは激戦続きで、両球団ファンにとどまらず日本全国の野球好きの目を釘付けにしている。名勝負のシリーズとなりつつあるが……伝説の日本シリーズとして今も語り継がれる1つが「江夏の21球」である。 1979年の広島vs近鉄は両チームともに初の日本一を目指す中で、第7戦までもつれ込む。4-3と広島1点リードの状況で、マウンドに上がるのはカープのリリーフエース江夏だった。当時はまだ投手の分業化がされておらず、7回から登板した江夏は“2度目のイニングまたぎ”となった。 江夏は先頭打者の羽田耕一に初球をセンター前に弾き返され、代走の仕掛けた盗塁に捕手の送球がワンバウンドになり、一気に無死三塁へ。そこから四球、敬遠で、広島はノーアウト満塁の絶体絶命に追い詰められた。
衣笠「ベンチやブルペンのことなんて気にするな」
ただ、江夏が闘っていたのは近鉄打線だけではなかった。ランナーが2人出た局面で古葉竹識監督はブルペンに投手を送ったのだった。 現代野球ならリスクマネジメントとして、定跡と言える選択肢である。ただ、当時はまだ昭和の時代。救援投手ながらエースの誇りを誰よりも持っていた江夏は“オレを信頼していないのか”と憮然としたという。そんな江夏に駆け寄って声をかけたのは、ファーストを守る鉄人・衣笠祥雄だった。 「オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな」 この言葉で再び闘志を燃やした江夏はそこから空振り三振、そして《カーブでのスクイズ外し》で三塁走者タッチアウト、再びカーブで空振り三振を奪い、赤ヘル軍団にとって悲願の日本一をもたらした。
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