*** ――今年もコロナ禍のシーズンでした。その中で東京五輪が開催され、メンバーに選ばれ、金メダルを獲りました。 「これまで2017年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)や2019年の第2回WBSCプレミア12で日の丸のユニフォームで戦いました。しかし、五輪のユニフォーム、日の丸は比べ物にならないくらい重かった。すごい重圧でした。野球が五輪で復活できたのは、東京開催という部分も大きかったはず。他の競技とは違い、次は五輪種目に野球が選ばれるか、わかりません。地元開催で、絶対に金メダルしかないとチームのみんなの目の色がかわっていた」 ――7月28日の初戦は福島県郡山市でのドミニカ共和国戦。9番セカンドでの先発出場でしたね。試合はサヨナラ勝ちでハラハラドキドキでした。 「予選の1試合目で相手はドミニカ。周囲からは『日本、楽勝だ』なんて声が聞こえてきた。選手はまったくそんな気持ちはないのですが、どこか隙があったのか、なかなか打てなくて、7回表に先制点をとられ、9回表で3対1と2点差で負けていた。坂本勇人先輩(巨人)の一打でサヨナラ勝ちでしたが、国際試合の怖さを思い知らされました。それでも勝てたので、チームも盛り上がり、一気に突っ走れた。ひとついえば、東京五輪の予選3試合は開始時間が昼12時でした。シーズンならデーゲームは午後2時くらい開始です。昼12時は二軍の試合開始時間で、ちょっと調整が難しいところがあったのは事実ですね」 ――東京五輪で使用するボールや無観客などいつもと違う環境がありました。戸惑いはなかったですか?
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